今日で、屋根、壁の塗装作業は終わり、足場も解体した。
壁をぬるので、ツバメちゃんの巣も取り壊してしまった。
ツバメ、お、おれの家がない!ど、どうしたんだ!と驚くだろうか。バカヤロメと怒るだろうか。
また、ゼロから巣を作ってくれるだろうか。
今年はツバメは来てくれないかもしれない。寂しいな。

朝日の今日の1面トップは「次期戦闘機 輸出解禁」。

戦闘機を作って他国に輸出するなど、憲法に反する。
しかも、国会で議論することなく、閣議決定で決まる。あの裏金を作り、統一教会となかよく、ハレンチパーティ大好きな、うそつき自民党の大臣たちが決める。ありうるか?三菱重工など防衛産業に献金をうけているのだろう。憲法よりも金なのだ。

しかも、テレビはこれを報道しない(昨夜、報道したのか?わたしは知らない)。

今日、朝、昼、夕とも、民放はあいかわらず、大谷翔平、一平問題ばかり。バカヤロメ。

クリックポストは今は使えなくなったけど、スマートレターというのがあるのを知った。ただ、これは厚さが2センチ(クリックポストは3センチ)。今日、このスマートレターを郵便局にもっていったが、2センチを超えているといわれて、使えなかった。本の暑さは2センチなのだが、スマートレターに入れると2センチを超えてしまうのだ。はやく、クリックポストを復活させたい。

今日は、オイル交換とタイヤ交換をした。もう道路が凍結することはないだろう。車屋さんの女主人さんの姿がなかった。他の知らないおじさんが事務室に座っていた。奥さん、どうしたのだろう。なにかあったのだろうか。高齢者は、いつ、どうなるかわからないので、余計な心配をする。

松下竜一「明神の小さな海岸にて」を読了。これもいい。ただ、前作「暗闇の思想を」を読んだ後の方がわかりやすい。

九州電力が火電発電所を建設するために明神海岸を埋め立てることになり、それを阻止する実力行使、座り込みの闘いの記録。松下の大親友、梶原得三郎氏他2人はは石ころを海に放り込む船に乗り込み、3人は逮捕され、拘留される。

松下は、自分は「記録作家」だと言っていたが、なんの、ただのノンフィクションではない。ノンフィクション作家がこの経過を書けば、ただの闘争記録となり、読みたい本ではなくなる。松下はやはり文学者であり、構成もプロットも考えられ、人間描写も自然描写も印象的だ。特に、今回は、拘留された梶原得三郎の奥さんや娘、家族についてもふれ、松下竜一と親友の妻との長い問答も興味深い。

当時は反公害運動が全国にあったけど、その運動をこれほど文学的に記録した本はないのではないか。

今、反公害運動がどうなっているのか知らない。反原発運動がどうなっているのかも知らない。
勢いはなくなっているのは確かだろう。海に汚染水を流しても、大きな反対運動がおきているとは聞かない。
それは、松下竜一が闘っていた時代も変わらない。いつだって、困難な運動なのだ。

昔、20年ほど前だったか、車で九州旅行をしたことがある。その時、中津にも寄った。福沢諭吉旧居を訪ねるのが目的だったけど、ここに松下竜一がいたことは思いつかなかった。残念。今、松下の「豆腐屋」の建物はすでに壊されているらしい。中津に、松下竜一のなにか記念館か記念碑などあるのだろうか。今でもやっぱり、九州電力にはむかった「過激派」として知らん顔されているのだろうか。

ランチのメニューは、5種類くらい用意している。ときどき、女性(おばちゃん)のグループが来るけど、「何にしますかか?」と聞くと、「あんた、何にしたの?」と友人に聞いて、「じゃあ、同じもの」と決める場合もある。食べ物くらい、自分で決めなさい、と心で思うのだけど、「他人指向型」はやはり少なくない。

自分の好み、評価よりも、他人の評価に重きを置くことはよくある、。「あなた、顔色が悪いね」とか「あなた、いつも元気そうだね」と他人から言われると、そうなのか、と心配したり、喜んだりする。それほど、他人の言葉は、自分を変える。ちょっとした無責任な他人の言葉で、怒ったり、悲しんだり、笑ったりすることはよくあることだ。

まあ、食べ物や健康のことならどうでもいいことだけど、これが、政治のことになると、話は別だ。
他人の政治談議を聞いて、自分の考えよりも、他人の言葉を「そのとおりだ」と思い込む危険もある。

松下竜一の「暗闇の思想を」の中で、北海道からの旅の帰りに、むのたけじの「解放への十字路」を読み、その中の一文が心に刺さった、と書いていた。

「現実には被支配者であるわれわれなのに、日常生活の中でうっかりと支配者的思考におちいってはいないか」という一文だ。

松下は「まさに背番号的市民にすぎぬわれらが、なぜ首相まがいに「国の発展」を唱えたり「国の電力」をまで憂えねばならないのか」と書く。

つまり、われわれは、庶民の視点からものを言うのを忘れ、政治家や財界の経営者の立場で考えてはいないか、ということだろう。

国の支配者にとっては、被支配者に支配者的思考をさせるのが、統治の最上の策だ。
この重大な任務を背負ったのが、テレビを中心とするメディアだ。

松下竜一はこの本の中では、メディアについては何も語ってはいない。1970年代、まだ、メディアの害は少なかったのだろう。むのたけじの「解放への十字路」を出版する本屋もあったし、松下竜一などの少数意見を発表する場もあった。

綾小路きみまろではないけど、あれから50年。

テレビでは最近、やたら、国会議員(自民党議員)や元政府役人、防衛省職員など、政府側知識人、評論家の登場が多い。そして、北朝鮮の脅威を言い、台湾有事にふれ、戦闘機輸出について語る。「国際環境が危機に瀕している。理想もいいが、現実を見よ。攻められないように防御すべき」などの言葉を流す。ふむふむ、そうだそうだ、と流されるのか?

維新の党は、よく第二自民党といわれるが、わたしは、テレビこそ第二自民党だと思っている。いや、テレビが維新を育てたのかもしれない。立憲民主党はどうか。昨年から今年にかけ、自民党の内幕が暴露されたが、今年あたりは、立憲民主党の正体も暴露されそうな気もする。半分くらいは、自民党左派ではないのか。

おっと、話がそれてしまった。失敬。



朝、車の屋根に雪がつもっていた。お昼は天気がよかったけど、帰り、家に近づくと雪が降りだした。まだ油断ができない。

今日、松下竜一の「暗闇の思想を 火電阻止運動の論理」を読み終わった。おもしろい。
文庫で240ページたらずだけど、中身が濃く、再読三読する価値のある名著だと思った。

なぜ、今まで松下竜一を読まなかったのだろう。

たぶん、題名が固いからだろう。「火電阻止運動の論理」。九州電力による豊前火力発電所なんて、とても関心を持てない。だいたい、松下竜一の本は、「砦に拠る」にしても「狼煙を見よ」、「ルイズ」にしても、一般の読者の関心をひかないマイナーな題材がほとんどだ。「売れない作家」になるわけだ。

だが、ひとたび、本のページをめくると、どれも他人ごとには思えない、自分たちのテーマだとわかる。

この本(暗闇の思想を)では、体重42キロ、病弱で(肺の持病がある)、やさしく、おとなしそうな、気弱な松下青年が、突然、ビラを書き、ポスターをはり、マイクで人々に語りかけ、学習会を作り、あちこちの会議に参加し、国、県、市、九州電力にかけあい、弁護士なしで、裁判に訴える1年半の闘いの様子が克明に描かれる。もちろん、松下竜一個人の記録ではなく、ごく少数の同志たちの描写も忘れない。

松下竜一は「豆腐屋の四季」(テレビドラマにもなった)で、中津では地元の有名人として人気を集めたが、松下のこの行動を見て、中津の人々の人気は消え、かえって冷淡になり、「中津から出ていけ」「過激派」「トロツキスト」という非難中傷を受けるようになる。

なにせ、九州電力という大企業の政策は国の強い支援を受け、県、市当局、裁判所も一致団結して松下竜一に立ちはだかる。革新政党や、既成の労働団体、組織も、非協力的だ。ほとんど、孤立無援の闘い。それでも、「七人の侍」と書くごく少数の同志はいた。涙が出そうになった。現在の反対運動をとりかこむ状況と似ているかもしれない。

庶民が政治を考え、庶民が政治の声をあげる闘いは、このように行われた。これは、まさに、幕末以来の「草莽」の姿だ。

松下竜一は、中津が生んだ偉大な草莽なり。

「明神の小さな海岸にて」は、この本(暗闇の思想を」の続編で、「5分の虫、一寸の魂」は、この闘いをもっと読みやすく、ユーモアをまじえて書いた本のようだ(まだ未読)。

しばらく、松下竜一から離れられない。

アマゾンで本を注文しようと思ったら、うまくいかず、どうも期限切れのようだ。カードを確認すると、2月まで、となっている。新しいカードはまだ来ていないぞ。すぐにカード会社に電話する。カードは1月に送っています。え!。
すぐに家人に届いていないかどうか確認した。ない。カード会社は、では、紛失ということで、再発行しますか?はい、お願いします。

財布の中を再度、たしかめてみると、いつもとはちがうデザインのカードが出てきた。登録番号は同じだ。これだ!また、カード会社に電話する。ありました。でも、もうおそい。「再発行手続きをしてしまいました。新しいカードは来週になります」。「カードのデザイン、変わってたの?」「はい。申し訳ありません」。

これで、クリックポストはしばらく利用できなくなる。失敗だ。いつものことだ。自分の性急さによる失敗。似たようなことは多い。これも、年齢だろうか。

最近、「人相が悪くなったね」と家人によくいわれる。

年齢を重ねるにつれ、若いころよりも人相がよくなる俳優もいれば、反対に、若いころの輝きがなくなり、老醜をさらす俳優もいるけど、おれは後者かもしれない。

顔だけでなく、知的にも精神的にも劣化しているのだろう。
特に、わたしについては、幼児がえりをしているところがある。

幼稚園などに入る前の3歳から5歳くらいの幼児期、わたしは、悪かった。わがまま。機嫌がわるい、自己中心。
押し入れに閉じこめられたり、柱にくくりつけられたりしたこともある(笑)。昔、親族で写した集合写真が1枚あるが、その中で1人わたしだけぐずっていて、母親に体をおさえられている姿だった。まだ目鼻ができていない顔だ。

学校に入り、集団生活をする中でじわじわと目口鼻ができてきた。少しずつ、まわりを認識しはじめた。

ところが、高齢者になり、集団の中で働くこともなく、自分本位に好きなように仕事や生活をしているので、頭の衰えも重なって、昔のわがままな幼児に戻ったのでは、と思う。人相には気をつけねば。

あの自民党の政治家たちの人相の悪さは、また、別だ。

4時ころ、仕事先を出発。自宅まで1時間以上かかる。車のTVで国会中継をつけていた。

自宅に近づく頃は、共産党の質問。それもそろそろ終わり。5時前、いつもそうだが、5分くらいトンネルを走ることになり、その間はテレビは映らない。今日もやはり、太郎は放送されないのか?トンネルをぬけた。5時3分と時間が画面に出ていた。NHKのニュースをやっていた。やっぱり、NHKは5時で「今日の国会中継を終わります」とやったわけだ。これは政党に対して、公平ではない。予算委員会を放送する以上、最後まで流すべきではないか。山本太郎の国会質疑はカットしてもいいのか?

国会中継をいちいちSNSで確認する人は少ないだろう。ふつう、テレビでしか見ない。でも、ユーチューブで、国会中継の山本太郎の場面を見てみた。

今日は、成田なんとか、という人のことをとりあげていた。数年前、老人は集団自決か切腹するべきだとか言って、アメリカでも問題にされた人だ。経済学者で、サンデージャポンにもよくコメンテーターとして出てくる。昨日の朝日にも出ていた。この人がキリンの「氷結」という飲み物の広告に出ていたのだが、かつての発言を問題視され、広告を削除した、という記事だ。なぜ、キリンはこの人を広告に起用したのか、理解に苦しむ。

山本太郎は、農水省や財務省が広報誌に、この成田氏を起用していたことを問題にしていた。政府が、この人を広報誌に使っていたとは知らなかった。あの問題発言をした後なのに。大企業や政府、そして、メディアはこの人を応援したい意図があるのだろう。

メディアには、よくあるパターンかもしれない。どんな業績があるか定かではないのに、いきなり、テレビに出して、コメンテーターや解説者として登場させることはよくある。高市早苗、舛添氏、三浦瑠璃なども、そうした形で登場した。メディア、政府が作り出す言論人、回し者。一方で、山本太郎のようにテレビから削除される人もいる。





仕事の帰り、車でNHKの国会中継を聞いていた。共産党の質問が終わり、委員長が「次はれいわ新選組の山本太郎くん」と言った。そこで、突然、NHKは「今日の国会中継はこれで終わります」と、国会中継を終えた。ちょうど5時になっていたので、それが予定だったのかもしれないが、たった5,6分くらいしかない弱小政党の質問くらい放送したらどうなのだ。太郎くんがかわいそうだ。

スマホの使い方にうとく、X(ツイター)もフェイスブックも利用してなく、ただユーチューブだけを利用しているのだけど、ユーチューブで、やっぱり、パレスチナのデモの動画が出てこない。出てきても、2か月前や半年前のものだったりする。デモ、やってないのか?不思議でならない。高田健や菱山南帆子はどうしてるのだ?

今、市民が声をあげなければならないことは、「ガザ」だけでなく、沖縄、原発、自民党の腐敗など、たくさんある。あるにもかかわらず、大きなデモにならない。「文化人」や「大学人」の声も聞こえてこないし、学生たちの声もない。

昔(昔話をするのは年寄りの癖で勘弁してほしいが)、そうではなかった。文化人、例えば、堀田善衛、中野好夫、小田実など声を出す知識人たちは多かった。大学も声明を出し、学者も、そして学生たちも反応して立ち上がった。わたしなど、小田実の声に引き寄せられてデモにでかけた口だ。今はデモの消えた国になってしまったのか?

いや、デモを毎月のようにしている人がいた。れいわの山本太郎だ。このデモの消えた時代に、太郎は、デモを復活させようと活動している。さすがだなと思う。仕事がなければ参加したいところだけど、とてもそんな時間がない。おそらく多くの労働者はそうなのだろう。日々の仕事で手いっぱい。余裕がない。

人にたよるな。ユーチューブで「デモ」を探すな。自分でデモをし、自分で声をあげればいいのだ。

ということで、ひとりデモをしよう。

「フリーフリー、パレスチナ!」「イスラエルは虐殺をやめろ!」「子供を殺すな!」

口下手なので、以上。




3月とはいえ、まだ寒いが日が続く。ただ、わたしが住んでいるところは、今年は雪が積もることも、道が凍結することもなく、車の運転に危険がなかったのでほっとしている。

明日は東日本大震災から13年目にあたる。さて、新聞はどんな報道をするだろう。そこに福島原発事故の記述はあるのだろうか。あの当時、これから、政府も財界も、かえって強気の国家運営をするだろうと思ったけど、案の定だった。ひどいありさまになっている。

あの震災当日、わたしは勤めに出ている配偶者を迎えに夜、新大阪まで車で迎えにいっていたのだが、運転中、車のラジオから「たねまきジャーナル」が流れていて、その時、初めて小出裕章の声を聞いた。なんと明晰に話をする人だろうと、感心した。それまで、原発については無知で何も知らないけど、説得力があると思った。だが、この人をテレビや新聞など、大メディアでは見たことがない。

同じように、昨年の10月7日のイスラエル・ハマス戦争以後、ユーチューブで知った人に、アラブ文学者の岡 真理という人がいる。この人も、強く訴える話し方をする。ユーチューブで学習会で講義する姿も見た。これは、「ガザとは何か」という本になって、昨年末に出版されたそうだ(買ってないけど)。

今日、ユーチューブの「デモクラシー・タイムズ」という番組で、この岡真理さんが、「ノーマンズランドとしてのパレスチナ」という題で2時間以上(?)、話していた。

岡さんも、先日のNHKの映像の世紀「イスラエル」を見たそうだが、まったくイスラエル側の放送だった、とあきれていた。岡真理も、小出裕章と同じく、テレビ、新聞など大メディアでは登場させない在野の人なのだろう。

「ガザ」の死者はすでに4万人を超えているそうだ(4割が子供)。

イスラエル反対、パレスチナ支援を訴えるデモ、集会のユーチューブを流していたサイトも、㋀25日以降、その後のアップがない。かわりに国会中継ばかり。国会中継も必要だけど、「ガザ」デモはどうなったのか気になる。ただ、国会中継の方は視聴回数が毎回1000や2000を超えるが、「ガザ」デモは毎回300から400くらい。やっぱり視聴回数が少ないと、ユーチューブでは困るのだろうか。

かつて、職場で苦しい立場にあるときは、「ガダルカナルだ」と思うこともあった。つまり、「地獄」の象徴。といっても、苦しいといっても、こちとらは、せいぜい「いやな人と会う」とか「労働時間が長い」とか気楽なもので、他人からは笑われるものだけど。「ガダルカナル」を思えばなんでも耐えられると思ったのだろう。

「ガザ」から比べるなら、「ガダルカナル」など、まだ、ましなのかもしれない。
今、世界で「ガザ」以上の「地獄」はない。
本来なら、メディアは連日、報道すべきなのに、それをしない。黙殺だ。

NHKの映像の世紀バタフライエフェクトで「イスラエル」をやっていたので、録画していたのを観た。

イスラエル寄りの番組編成で、これならネタニエフからも文句は出ない、というような内容だったと思う。
「イスラエル」をやったのなら、今度は、「パレスチナ」をやってくれるのか?いや、「イスラエル」だけやって、「パレスチナ」をやらない、という法はない。

最近、パレスチナのデモの動画がない。1月25日の新宿駅アルタ前アクション」が最後だ。あれから1か月以上たつが、ない。ないはずはなく、おそらく、2月も集会やデモはしているはずだが、動画を流してない。なぜなんだ?

今日から家のリホーム。屋根はボロボロ、壁はひび割れという状態なので、修理してもらうことにした。
今日は若い人が二人で足場を組み立てに来た。明日から屋根修理だけど、どうも雨になりそうで延期になるかもしれない。

昼、散髪屋さんまで車で行った。前に行ったのは11月だから4か月ぶりだ。1年に3回か4回か。1500円(シャンプーはしない)。息子など、3000円の散髪を毎月行っている。高すぎるというけど、それが普通だという。金もないのにわけわからん。

散髪は昔から嫌いなのだ。じっとしていることができない。鏡の自分を見つめることがいやだ。いつもずっと目を閉じている。「どうしましょうか」と問われると、「短くして。あと、適当にして」と言う。客商売なので、あまり髪の毛が多すぎるのも不潔そうなので散髪する。とはいえ、年々、髪の毛は減るばかり。昔と違って、今の散髪屋さんは、すぐに終わるからいい。

今日は、国会中継をしていた。しかし、NHKはなぜ予算委員会しか中継しないのだろう。他の委員会もやるべきだろう。国会開会中はずっとテレビ中継する。それだけで、国民の政治的関心は高まるはずだ。

立憲民主党が予算案の採決に同意したのは、立憲幹部の野田や岡田たちの力なのかもしれない。なにせ、野田は安倍総理の国葬に参加したのだから。自民党と連立を組んでもいいと思っているのか?


株価が4万円を越えたということが、どこのテレビ局でもトップニュース。それがどうしたのだろう。株など無縁な人の方が多いのではないのか。わたしも無縁だ。株価が上がってまるで景気がよくなったかのように報道するが、この先どうなるかかえって不安だ。とにかく、すべての商品が値上げしている。飲食店など悲鳴をあげている。

今日、松下竜一の本を読んでいたら、松下竜一の1998年の年収は200万円程度とある。低収入なので、非課税扱い。1990年代でこれなら、普通のサラリーマンや公務員の年収よりも少ない。売れない作家だからずっと貧乏暮らし。
売れなかったかもしれないが、松下竜一の本はいつまでも残る。現在、古本としてはけっこう高額になっている。
この松下竜一は、上野英信や岡部伊都子とも親しかった。3人ともいなくなった。


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